最近特にTVや新聞で「愛国心」について取りざたされている。
政府が今後の教育基本法に「国を愛する」という文章を明文化するかどうかでの議論となっているのだ。
小泉首相はこう言う。
「愛国心は自然に芽生える感情ですからね。」
彼の言うことに俺は少し疑問を感じた。自然に芽生える感情ならわざわざ法に明記することはないのではないか?支離滅裂のような気がする。
教育は国の礎。自然に芽生えるはずのものを教育に盛り込んだことにより人類はどれだけの悲劇を過去に招いたか。彼らが知らないはずはない、麻痺しているのか?
街頭で
インタビューに答えていた
サラリーマンは
「いいんじゃないですか、日本人は愛国心は薄い民族だと思いますし。」とある。まるで他人事、こういうことを自分で考えて答えていないような気がした。お前はワイドショーのコメンテーターか!
海外の人にとっての「愛国心」とは一人一人口に出さない感覚のようなものなのだという。なるほどそのとおりだ。俺にも小さな愛する心はある。
それを誰かから強制的にならったものなら、それこそ悲劇的だ。
政府が言う愛国心とは、郷里を愛し文化や人々との交流を大切にし、それが国を愛することにつながるのだということだ。
素晴らしい考えだと思う。
郷里を愛する心、「愛郷心」。
だが、今の政府は地方に権力を分割すると言う名目で地方を切り捨てている。弱い市町村は音を立てて崩れていく。
俺の生まれた故郷も、先月隣の市との合併で地図上から姿を消した。
開発は進み、故郷の文化はいずれ衰退してしまうだろう。
国敗れても、俺には山河はなくなる悲しさがある。
怒りすらあるのだ。
何もないところだと思春期にはよく嘆いたものだが、今は故郷が好きだ。
一人一人の小さな「愛国心」だけあればそれで十分だと俺は思う。